紡いだり、織ったり、編んだり、
縫ったり、工作したり、波乗りしたり、
家族と笑って過ごしたりの日々。

手紡ぎや手織り、こぎん刺しなど
“ noito ”の記録も綴っています。

| about me | entry | category | archive | comment | links | moon |



スポンサーサイト
 

一定期間更新がないため広告を表示しています



にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ にほんブログ村 海辺の暮らしへ
一日一回、バナーどちらか1つをクリックしていただけますと更新の励みになります。
いつも見てくださり、ありがとうございます。

2016.06.20 Monday | - | - |




2度目の冬。
 
 
チェルノブイリの事故の後、関係者に直接取材をし本を書いた
一人のウクライナの医学博士がいる。この博士が先日、来日した。

博士の本は日本語にも翻訳されているので一通り目を通しましたが
驚くべき事に、チェルノブイリの事故時の対応と、それによって人々が
苦しみのなかにいく様子が、福島の原発事故後のそれとダブル部分が
多くありチェルノブイリの話なのに今の原発事故のシナリオをみせられて
いるかのような錯覚に陥った。26年も経過しているというのに…。

一旦 暴走した原発は何者も寄せ付けず まき散らされた放射性物質は
何十年、何万年にも渡って大地も空気も生きるものを汚染し続け
それによって人々や生き物達が苦しみ続ける。「原発事故」というのは
いつ、どこでおきようとも同じシナリオになるのかもしれない。
今までもこれからも。


26年前の原発事故の影響がいまだ続くウクライナ。
人類史上初の大きな原発事故を起こし、そこから「復興」
しようとする日本がウクライナから学べることはどんな
ことなのだろうか。


ウクライナかた博士が来日した際には、主催者の依頼を受けて
aryoさんが通訳をしました。通訳の合間に色々なお話を聞けたそうです…。

まず第一に、福島の原発事故時にヨウ素が配られなかったことに、
博士は大変驚いていたと。(当然の反応だと思います。)
「原発事故発生時にヨウ素を飲まなかったという事は残念ながら
あと3〜4年で(事故時から?だとしたらあと1〜2年?)
必ず甲状腺がんは増えるだろう」と断言されていたそうです。

チェルノブイリの原発事故後、ウクライナ政府は子ども達を
順番にサナトリウム(保養施設)に送り出しています。
非汚染地域に一定期間とどまり、汚染されていない食べ物を
食べれば体からセシウムが排出されていくことが分かっている
からです。

一方の日本は汚染の事実を認めていない立場上
子ども達だけでも保養させよう、などとは口が裂けても
言い出さないでしょう。

(ウクライナに住む私の叔母さんが福島原発事故後の政府の対応を
知り大変に驚いています。日本はもっとマシなのかと思っていた!と。)

日本より手厚い対策をとったウクライナですが、26年経過した
今になっても健康な子ども達が少ないという調査報告があります。


12113.jpg



マイクロホットスポットがいたるところにあり、空間線量も
高い場所(当然土壌も汚染されている)に住み続けて問題ない
と言い続けている政府。


福島のある町の人たちが博士に訴えていました。

「汚染されていると知った上で、賠償したくないから私たちに
ここに住めというのだろう」

「子ども達が病気にならないか」

「除染してもすぐに線量が戻ってしまう」

「汚染されていると認めて欲しい。もう住めないなら
住めないと国にはっきり言って欲しい。」

福島の人々のこのような、悲鳴のような訴えは
復興や絆という大声にかき消されてしまう。


“最初はもやもやした空気のようだったものが、次第に
厚い雲になって福島を覆い、問題解決を困難にしている”
というのは、ソーシャルワーカー・カウンセラーの
吉田麻里香さん。



福島を覆う雲
(中日メディカルサイト「青く、老いたい」2012年12月6日)より


お話:ソーシャルワーカー・カウンセラー吉田麻里香さん


不安とおびえが人を傷つける

 周りにも沿岸部から避難してきた人もいれば、健康被害などを恐れて、出て行く人もいる。
母子だけが避難し、父親だけが残る例、週末だけ帰ってくる例。移住を繰り返す例・・・自宅を
離れて暮らす人の総数は20万8000人(国の指示による避難者数と自主避難した人数の合計)に
及ぶ。流浪する人たちの現状を表現する言葉は「難民」以外に思い当たらない。

地域コミュニティーが機能しなくなる中で、被災者たちの間で「分断」が起きている。
沿岸部から避難し、仮設住宅で暮らす人たちに「働きもせず、ぶらぶらして」「いい身分」
「うちも原発の近くに家があれば良かった」と冷たい視線が注がれることがある。経済補償の
格差が、ねたみにつながってしまう。失われたものは目に見えない。仕事やキャリアを失い、
故郷を失い、周囲の住民からも快く思われず、家族も別居。働こうにも低賃金の土木作業の
求人しかなく、就労すれば、それまでの経済補償が打ち切られる。そんな被災者の壮絶な孤独
を想像できずに陰口をたたくのも、自分が不安だから。

県外に避難した人・地元に残る人の間でも「あいつらは外に出て、風評被害をまきちらしている」
「福島に残る人は、子どもを危険にさらしている」と陰で批判し合ったりする。自分の選択や
判断がこれでよかったのか不安だから、違う立場の人を攻撃することで自分の正しさを確認
しようとする。

職を失った被災者の中でも、アルコールやギャンブル、DVなどの問題が進行し、ますます
周囲から白い眼でみられる結果を招くこともある。

インターネットで偏見に満ちた意見が流れ、それに賛同する人たちがいて、目に見えない小集団
が作られていく。でも、面と向かっていがみ合うことはなく、みんな沈黙する。隣の人が何を
考えているか分からないから、本音を言えない。

これまでの被災地では、支援者が家を訪ね、医療福祉のサービスを紹介するのが通常のやり方
だったけれど、不信が満ちている状況ではなかなかうまくいかない。

「福島」「FUKUSHIMA」「フクシマ」といった言葉を見るたびに、外からの差別の視線を感じ、
それが農作物などだけでなく、自分自身も「汚染されている」という眼で見られる日が来るので
はないか、とだれもがおびえている。

そうした差別を阻むのは良心や道徳観だけど、それは、発言力の強い人が現れれば簡単に
崩される薄い壁のようなもの。

おびえから、ゆがんだ共同体意識が子どもたちに押しつけられることもある。
「あなたたちは福島に残ることを選んだのです」と学校の先生が言ったりする。
子どもたちは何にも選んでいません。ただ、そこにいただけなのに。
除染やがれき処理など仕事はたくさんあり、高校生がとりあえず就職するのは簡単だけど、
将来にわたって安定したものではない。子どもの将来の可能性を広げられるのは進学だが、
その機会は減っている。





12111.jpg


昨日で1年と9ヶ月。

「復興」「絆」「がんばろう」こういった言葉が
日を増すごとに空しさを帯びてくる。

2度目の寒い冬がやってくる。

心ない言葉ではなく、どうか温かい労いの言葉を。


みんなみんなに ありがとう。
みんなみんなが しあわせでありますように。


にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ にほんブログ村 海辺の暮らしへ
一日一回、バナーどちらか1つをクリックしていただけますと更新の励みになります。
いつも見てくださり、ありがとうございます。

2012.12.12 Wednesday | 3.11の記録 | comments(0) |




スポンサーサイト
 


にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ にほんブログ村 海辺の暮らしへ
一日一回、バナーどちらか1つをクリックしていただけますと更新の励みになります。
いつも見てくださり、ありがとうございます。

2016.06.20 Monday | - | - |















<< NEW | TOP | OLD>>